茶苑呑 焼き物紹介
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◆◆ 茶苑呑焼き物紹介 ◆◆

やきもの里 産地紹介   dog


用語
概略説明(やきものの里を訪ねる 実業之日本社からの抜粋他)
因久山焼
ご紹介の焼き物 因久山焼(いんきゅうざん)は鳥取市の南に位置する町、八頭町に古くから陶器が作られていた。 歴史は非常に古く、奈良時代から窯場が開かれていたと伝えられる。名は窯元が置かれていた久能寺の山号である因久山に因み、池田藩より名を拝領した。 因久山焼の特徴は、京焼と信楽焼の技法が混じり合い独特の風雅さと土味のある作風が形成された点と、多彩な釉薬にある。 原料の粘土は鉄分を多く含むために、素地はくすんだ赤褐色気味だが、藁灰釉、辰砂釉などを用いることにより、格調高い意匠となる。
小鹿田焼
ご紹介の焼き物 小鹿田焼(おんたやき)は、大分県日田市の山あい、皿山を中心とする小鹿田地区で焼かれる陶器。 その陶芸技法が1995年(平成7年)に国の重要無形文化財として指定され、2008年3月には地区全体が「小鹿田焼の里」として 重要文化的景観に選定されている。李朝系登り窯で、飛び鉋、刷毛目、櫛描きなどの道具を用いて刻まれた幾何学的紋様を特徴とする。 また、釉薬の使い方には打ち掛け、流し掛けなどといった技法が用いられる。陶土を搗くための臼は「唐臼(からうす)」と呼ばれるもので、 ししおどしのように受け皿に溜まった水が受け皿ごと落ちる反動によって陶土を挽いている。
赤膚焼
ご紹介の焼き物 赤膚焼(あかはだやき)は奈良県奈良市、大和郡山市に窯場が点在する陶器である。 赤膚焼は名の如く、器肌に赤みを帯びている。名の由来はその器肌という説と地元の地名から 来たという二説がある。その赤みを帯びた器に乳白色の萩釉を掛け、奈良絵と呼ばれる絵付けを施した物がよく知られる。 奈良絵とは御伽草子などを題材とした庶民的な絵柄で、微妙な稚拙な構図が器肌の素朴さを巧く引き出している。
渋草焼
ご紹介の焼き物 渋草焼(しぶくさやき)は岐阜県高山市で焼かれる陶磁器。天保11年に高山郡代、 豊田藤ノ進が陶磁器を自給自足すべく、官民共同の窯場を作ったのが始まり。 原料に地元の渋草陶石を用いる。そして瀬戸や九谷といった磁器産地から陶工、絵師を招聘し、瀬戸や九谷の特徴を織り交ぜながら、 飛騨赤絵、飛騨九谷と呼ばれる独自の磁器を生み出した。今日では芳国舎と柳造窯の2か所が煙を上げている。 前者は昔ながらの手書きの絵付磁器を焼く。
無名異焼
ご紹介の焼き物 無名異焼(むみょういやき)は、新潟県佐渡市相川町で焼かれる陶器。無名異とは酸化鉄を含有する赤土で、 止血のための漢方薬でもあった。また、佐渡金山採掘の際に出土したため、その副産物を陶土に利用して焼かれた。 文政2年に伊藤甚平が無名異を使って楽焼を焼いたのが始まりで、安政4年に伊藤富太郎が本格化させた。 後に初代三浦常山が脆かった従来品を強くするため、朱紫泥焼の手法を編み出し、今日に至る。高温で焼き締めるために非常に固く、 叩くと金属音のような音を出すのが特徴。2003年に重要無形文化財の指定を受け、 同時に5代伊藤赤水が重要無形文化財保持者(人間国宝)に認定されている。
越前焼
ご紹介の焼き物 越前焼(えちぜんやき)は、福井県丹生郡越前町の主に宮崎地区(旧宮崎村)・織田地区(旧織田町)で焼かれる陶磁器(b器)。釉薬を用いずに高温で焼成されるときに薪の灰が器に流れ出し、溶け込む自然釉の風合いで知られる。備前焼は岡山県備前市JR伊部駅を中心として窯場が展開しています、備前焼は絵付けもしなければ釉薬も一切使わない、 土と炎のみが織り成す自然が作り出す器の魅力が有ります。平安時代から鎌倉時代にかけては、壺や瓶が焼かれていましたが、室町時代には皿や鉢、徳利など種類も増え、室町時代には茶陶としてその名を轟かせています。
萬古焼
ご紹介の焼き物は萬古焼(万古焼、ばんこやき)は 沼波家の跡取りとして享保三年(一七一八)に生まれた五左衛門弄山[ろうざん]は、幼いころから茶道に精進した茶人で、 その茶趣味が嵩じて朝日町小向[おぶけ]に萬古焼を開窯したのは元文年間(一七三四〜四〇)のことである。 陶法は、京焼技法に習い、特に尾形乾山[おがたけんざん]に多くを学んだ。内外の茶碗の写し物をはじめ、 華麗な色絵を主体とした優美な作品を生み出した。 萬古焼の陶磁器は耐熱性に優れる特徴を持つ。 三重県四日市市の代表的な地場産業であり、1979年1月12日から伝統工芸品に指定されている。 その耐熱性の特長を活かした紫泥の急須や土鍋が有名であり、特に土鍋の国内シェアは、7、8割を占めると言われている。
唐津焼
ご紹介の焼き物は唐津焼(からつやき)は佐賀県唐津市で焼かれる陶器。 古くから一楽二萩三唐津として茶器として名高い。 唐津焼の特徴は李氏朝鮮(一説に、華南)から伝わったとされる伝統的な技法が今に根付いているところである。 特に蹴轆轤、叩き作りといった技法は古唐津から伝わる技法で、現在もこの製法を行っている窯がある。 窯は連房式登り窯という大がかりな窯を用い、そこで1300度の高温で一気に焼き締める。 意匠は茶器として名声を馳せただけあって、非常に素朴で、それでいながら独特の渋みがある。 灰褐色の肌に鉄色の釉薬で素朴な絵を書いた「絵唐津」が最も有名である。
伊賀焼
今回ご紹介の焼き物は伊賀焼(いがやき)は三重県伊賀市(旧阿山町)にて焼かれている陶器及びb器。 中世から始まったといわれる日本有数の古陶で、日本六古窯に数えられる。 始まった頃は水瓶や種壺、擂り鉢などの日用雑器が焼かれていたが、陶土産地が山一つ隔てた信楽と同じだったため、 信楽焼とほとんど区別がつかなかった。だが桃山時代に入ると、伊賀領主となった筒井定次が、 阿山の槙山窯にて茶の湯に用いるための茶壺、茶入、花入、水指などを焼き始めた。 そしてこれらにはビードロ釉(ゆう)と呼ばれる緑色の自然釉が見られる。 焼き締まった赤褐色の土肌に吹き出た無数の長石粒と折り重なり、質朴でありながら風流な焼き物となったのである。
備前焼
今回ご紹介の焼き物は備前焼(びぜんやき)とは、岡山県備前市周辺を産地とする陶器、b器。備前市伊部地区で盛んであることから「伊部焼(いんべやき)」との別名も持つ。 特徴は釉薬を一切使わず「酸化焔焼成」によって堅く締められた赤みの強い味わいや、「窯変」によって生み出され一つとして同じ模様にはならないのが特徴。 現在は茶器・酒器・皿などが多く生産されている。「使い込むほどに味が出る」と言われ、派手さはないが飽きがこないのが特色である。 茶苑呑では備前焼の商品は取り扱っていません。
信楽焼
今回ご紹介の焼き物は信楽焼(しがらきやき)は、滋賀県甲賀市信楽町を中心に作られる日本の伝統陶磁器、b器で、 日本六古窯のひとつに数えられる。一般には狸の置物が著名であるが、後述のように多様な発展を遂げている。 信楽焼の特徴は、信楽特有の土味を発揮して、登窯、窖窯の焼成によって得られる温かみのある火色(緋色)の発色と 自然釉によるビードロ釉と焦げの味わいに特色づけられ、土と炎が織りなす芸術として“わびさび”の趣を今に伝えている。 茶苑呑では信楽焼の商品は取り扱っていません。
薩摩焼
今回ご紹介の焼き物は薩摩焼(さつまやき)は、鹿児島県内で焼かれる陶磁器で、竪野系、龍門司系、苗代川系がある。 豊臣秀吉の文禄・慶長の役の際に、捕虜として連行されてきた朝鮮人陶工たちが、島津義弘の保護の下に発展させた。 以来400年以上に及ぶ長い歴史の中で、薩摩焼は鹿児島の豊かな風土に育まれるとともに、陶工たちの弛まぬ努力によって独自の発展を とげています。「白もん」と呼ばれる豪華絢爛な色絵錦手の磁器と「黒もん」と呼ばれる大衆向けの雑器に分かれる。 茶苑呑では薩摩焼の商品は取り扱っていません。
小石原焼
今回ご紹介の焼き物は小石原焼、17世紀、江戸時代前期に黒田藩藩主によって開かれた、 筑前最初の窯です。当初はその地名から「中野焼」と呼ばれ、大型のかめ、壷、徳利等の磁器を焼いていましたが、 18世紀初めから陶器が焼かれるようになり、小石原焼と呼ばれるようになったと言われています。 小石原焼の特徴は刷毛目、飛び鉋、櫛描きなどによって表現される独特の幾何学的な紋様が特色で、素焼きを行わず、 釉薬を流し掛ける。主に生活雑器が焼かれています。 茶苑呑では小石原焼の商品は取り扱っていません。
笠間焼
ご紹介の焼き物は笠間焼、安政年間(1772-1780)に久野半右衛門が信楽の陶工を招いて製造を始めたのが起源とされている。 土瓶、かめ、土鍋、壺、すり鉢、徳利などの民家向けの生活用品を生産。昭和に入り都市部の家庭向けの製品が主流となっていった。 輸出品としてマグカップ、コーヒーカップ、サラダボール、花器、酒器などがある。 特色としては色がグレー、褐色、茶色系で、あっさりした装飾が主流である。ローカルカラーがない分、全国の家庭にすんなり入っていける品物です。 茶苑呑では笠間焼の商品は取り扱っていません。
伊万里焼
ご紹介の焼き物は伊万里焼、秘宝の里としてやきもの好きな人を集めている「大川内山」が伊万里焼を生産しています、 17世紀後半、佐賀藩鍋島家は有田郷から伊万里郷大川内に藩窯を移し時期製造が続いています、 鍋島焼の特徴は青い絵具で模様を付けた染付け、美しい空豆色の青磁、染付けの上に赤・緑・黄色の絵具で上絵付けをした色鍋島の3種類が作られた。 特に色鍋島は最高級品で、古美術ファンのあこがれの的になっています。 茶苑呑では伊万里焼の瀬兵窯のコーヒーカップを多数取り扱っています。
萩焼
ご紹介の焼き物は萩焼です、萩焼は慶長9年(1604年)に藩主毛利輝元の命によって、 朝鮮人陶工、李勺光(山村家)李敬(坂家)の兄弟が城下で御用窯を築いたのが始まりとされる。 萩焼の特徴は原料に用いられる陶土とそれに混ぜる釉薬の具合によって生じる「貫入」と使い込むことによって 生じる「七化け」がある。貫入とは器の表面の釉薬がひび割れたような状態になることで、 七化けとはその貫入が原因で、長年使い込むとそこにお茶やお酒が浸透し、器表面の色が適当に変化し、 枯れた味わいを見せることである。素地の色を生かすため、模様は地味だが根強いファンが多く、 市内界隈には新規を含め、多数の窯元が存在する。茶苑呑では萩焼のコーヒーカップは取り扱っていません。
九谷焼
ご紹介の焼き物は九谷焼です、九谷焼の歴史は、江戸時代初期の1655(明暦元)年ごろにさかのぼります。 長い歴史を持つ九谷焼は、鮮やかな「九谷五彩」の中に、土に命を注ぎ上絵に心を込める職人の ひたむきな情熱と豊かで細やかな感性が見事に調和して表現されており、日本を代表とする陶磁器として国内はもとより海外まで知られ、 多くの人達に支持され親しまれております。 茶苑呑では九谷焼のコーヒーカップを多数取り扱っています。
丹波焼
ご紹介の焼き物は丹波焼です、丹波焼は兵庫県多紀郡今田町・篠山町に窯場が有ります、丹波でも備前や信楽同様、穴窯によって壺やかめの焼締陶が作られていましたが、やがて登り窯に移行しました、現在もその丹波の山の斜面に築かれた「蛇窯」を見学することが出来ます。 京都に近いという立地が洗練された民陶に育ち、またそれを作家としての感覚が独自の作品に変えています、これが丹波の特徴で大きな魅力です。 茶苑呑では丹波焼の作家 市野清治氏の作品を取り扱っています。
有田焼
ご紹介の焼き物有田焼(ありたやき)は、日本を代表する焼き物の一つです、佐賀県西松浦郡有田町が生産地です、 有田焼の特徴は「独創性」「アート性」「伝統の隠し味」が有り、白く焼きしめた肌に青の染付模様、 赤や緑や黄色の絵具で描かれた花や鳥、金色をアクセントに使う手法である。 磁器の焼造は17世紀初頭から始まった。豊臣秀吉の朝鮮出兵の際、多くの藩が陶工を日本へと連れ帰った。 肥前国鍋島藩主・鍋島直茂が連れ帰った、その中の一人が李参平(りさんぺい、イ・サムピョン、一説には韓国の忠清南道金江出身)である。 彼は1616年(元和2年)(1604年説あり)に有田の泉山で白磁鉱を発見し、そこに天狗谷窯を開き日本初の白磁を焼いた有田焼の祖と言われています。 茶苑呑では有田焼のカップを多数取り扱っています。
常滑焼
ご紹介の焼き物常滑焼(とこなめやき)は、愛知県常滑市を中心とし、その周辺を含む知多半島内で焼かれる陶器。 平安時代末期(12世紀)には、常滑を中心にして知多半島の丘陵地 のほぼ全域に穴窯が築かれ、山茶碗や山皿、壷などが作られました。 この 時代に作られた焼き物は、一般に「古常滑」と呼ばれています。当時、焼 き物を作っていたところは、「日本六古窯(常滑、瀬戸、信楽、丹波、備 前、越前)」 と呼ばれていますが、中世常滑窯は、その中でも最も大きい 生産地でした。 茶苑呑では常滑焼のカップは取り扱っていません。
袖師焼
ご紹介の焼き物袖師焼は明治初期に松江市上乃木の皇子坂に開窯されたのが始まり。初めから民芸運動に加わり、地元の粘土を用いて新作の民芸品として日常の暮らしの器物を作るようになりました。 出雲に伝わる技術をベースに、地元に産する陶土や原料にこだわり、丈夫でシンプルな中にも潤いを持つのが袖師焼の特徴。しかし、各地の様々な陶法をとりいれ、ときには訪れる人との会話の中から発想した時代ニーズにマッチした作品づくりを行っているのも袖師焼ならではの柔軟性です。 食器類、酒器、茶器、花器など主として日常家庭用品を製作し、近年では、赤土粘土など、これまでと違った土を使用した作品づくりにも挑戦しています。 茶苑呑では常滑焼のカップは取り扱っていません。
益子焼
ご紹介の焼き物の益子焼(ましこやき)とは、栃木県芳賀郡益子町周辺を産地とする陶器である。 19世紀の中頃、笠間焼の影響を受けて始まりました。初期の益子焼は、藩の援助を受けて日用品を焼いており、 そうして作られたものは江戸の台所で使われていました。大正13年から作家活動を始めた浜田庄司は益子に住む陶工達に 大きな影響を与えました。そこから、現在、益子焼として親しまれている食卓用品や花を生ける器等が作られるようになりました。 益子の良質な陶土を使って、白化粧、刷毛目(はけめ)等の伝統的な技法で力強い作品が大量に作り出されています。 茶苑呑では益子焼のカップは取り扱っていません。
会津本郷焼
ご紹介の焼き物の会津本郷焼(あいづほんごうやき)とは、福島県会津美里町(旧会津本郷町)周辺を産地とする陶器及び陶磁器である。1593年に領主である蒲生氏郷が薩摩国から瓦工を呼んで鶴ヶ城の屋根瓦を製造させたのが始まりである。17世紀中頃に藩主の保科正之の求めに応じて瀬戸から陶工・水野源左衛門が呼ばれて本格的に焼き物の基礎を築いた。1800年には有田や京都で学んだ佐藤伊兵衛が磁器の製法を伝え現在の会津本郷焼の原型が完成する。会津本郷焼で使われる釉薬に「飴釉」がある。飴釉は文字通り飴色で光沢を持っている。この飴釉を使った代表的な陶器が「ニシン鉢」で古くからニシンの山椒漬けに使われてきた。茶苑呑では本郷焼 酔月窯のカップを取り扱っています。
三川内焼
ご紹介の焼き物は三川内焼(みかわちやき)は別名「平戸焼」ともいう長崎県佐世保市の陶磁器である。1598年,豊臣秀吉が,朝鮮に出兵します。その時,出陣した平戸藩主,松浦鎮信(まつうらしげのぶ)が,巨漢(きょかん)などの陶工(とうこう)を100人余りを連れて帰りました。そして,平戸の中野村で焼き物を焼かせたのが始まりだといわれています。三川内焼きの特徴はなんと言ってもその生地の美しい白さに紺色で絵付けされた唐子模様(からこもよう)です。唐子とは,かわいらしい中国の子ども達です。天草陶石を用いた白磁に藍色で絵付けがされた物に代表されます。茶苑呑では三川内焼人気の染付けカップを取り扱っています。
波佐見焼
ご紹介の焼き物は波佐見焼(はさみやき)は長崎県東彼杵郡波佐見町が産地です。波佐見焼の誕生は今からおよそ400年も前にさかのぼります。慶長3年(1598)、文禄・慶長の役に参加した大村藩主・大村喜前は朝鮮の陶工・李祐慶兄弟たちを連れ帰りました。その翌年彼らが波佐見町村木の畑ノ原、古皿屋、山似田に階段状連房式登窯を築き、やきものづくりを始め、ここに波佐見焼は産声をあげたと伝えられています。波佐見焼といえば、染付と青磁が中心ですが、初めは施釉陶器を生産 していました。その後、村内で磁器の原料が発見され、しだいに染付 と青磁を中心とする磁器へ移行。ついには大村藩の特産品となり、江戸後期には染付の生産量が日本一に。こうして波佐見焼は、染付・青 磁ともに大生産地に発展してきたのです。茶苑呑では波佐見焼のカップを取り扱っていません。
赤津焼
ご紹介の焼き物は赤津焼(あかつやき)は愛知県瀬戸市赤津町にて焼かれる陶器。桃山期茶華道の発達に伴い、黄瀬戸、志野、織部の各釉が出現し、その優雅な美しさは、茶陶を中心として各焼物に及び、今日も変らず赤津焼の代表的なうわぐすりとして多く用いられています。江戸時代の初期尾張徳川家による尾州御庭焼によって御深井釉が用いられ、玄人好みのうわぐすりが一段と冴えて、見事なろくろ技術や、たたら技術によって他に類をみない多彩さを誇り、十二種もの装飾を駆使して今日も尚、赤津焼に生かして、 その伝統を守り制作されています。茶苑呑では赤津焼のカップを取り扱っていましたが、完売状況です。
布志名焼
ご紹介の焼き物は布志名焼(ふじなやき)は島根県松江市玉湯町にて焼かれる陶器。江戸時代に松江藩の御用窯として開かれた窯場(雲善窯)で、大名茶人でもあった松平不昧公の好みを反映した茶器が焼かれた。後に民窯の船木窯も開窯し、黄釉や出雲青地と呼ばれる青釉の日用雑器を焼き、一時は海外への輸出も盛んに行われるほど隆盛を極めた。布志名特有の黄釉色絵物が全盛の明治頃は、国内ばかりでなく海外にまでも販路を広げていた。昭和に入ってからは柳宗悦や河井寛次郎、浜田庄司、バーナード・リーチらの民芸運動にいちはやく共鳴。そこでもたらされた技術をとりいれながらの作陶が、県下の陶芸界にも大きな影響を与えた。化粧泥で模様を施したスリップウエアと呼ばれる技法もそのひとつである。
大谷焼
ご紹介の焼き物は大谷焼(おおたにやき)です、大谷焼の特徴は、寝轆轤と呼ばれる独特の轆轤を用いて制作される大甕で知られる。寝轆轤は相手が寝ながら足を用いて回す仕掛けで基本的に大甕作りは二人の呼吸が合っていないと作れない。尚、この大甕は阿波地方の特産である藍染めに欠かせない道具であり、藍甕と呼ばれる。大谷焼(おおたにやき)は徳島県鳴門市の大谷地区で作られる陶器である。
壺屋焼
ご紹介の焼き物は壺屋焼(つぼややき)です、壺屋焼の特徴は、その素朴さと力強さにある。どっしりとした重量感の器は、暖かみと風格が見る物、使うものに、自然と伝わるといわれる。 この力強さや暖かみは、長い伝統に培われた技法と、土と火によって生まれたものである。 壺屋焼は沖縄県那覇市壺屋地区及び読谷村その他で焼かれる陶器です。
上野焼
ご紹介の焼き物は上野焼(あがのやき)です、茶陶として発展した上野焼は、他の陶器類と比較して、極めて軽く、薄づくりであるという特徴を持っています。五感に心地良い、土の持つ素朴さ、力強さの中に「薄づくり」の上品さを秘めたその特徴は現在にも受け継がれています。上野焼は福岡県田川郡香春町、福智町が生産地です。
大堀相馬焼
ご紹介の焼き物は大堀相馬焼です、旧藩政時代には相馬藩内で生産される陶器を相馬焼と呼んでいましたが、今は産地名大堀の名を入れて大堀相馬焼と呼んでいす。 創業は今から約300余年前、藩士半谷休閑の下僕左馬という人によって創始され、次第に近隣へと伝えられて行きました。大堀相馬焼は、福島県双葉郡浪江町大字大堀一円が生産地です。
石見焼
ご紹介の焼き物は石見焼です、石見焼は島根県江津市が産地です、 江戸時代中期に、地元の職人が、現在の山口県の陶工より製陶法を習い、石見焼の片口や徳利等の小さな製品が作られるようになりました。磁器に近い粘土を使い、鉄を含む地元の石を使った茶褐色の釉薬(ゆうやく)や、アルカリを含む石を使った透明な釉薬を用いた製品が主力です。
瀬戸焼
ご紹介の焼き物は瀬戸焼です、瀬戸焼は「瀬戸物」が磁器主体なのに対して、伝統工芸品指定にされた陶器主体の赤津焼も有ります。 あかず町には手作りの器生産の伝統を受け継ぐ窯元や作家活動を行っている陶芸家が集中しています。 茶苑呑では赤津焼の窯元霞仙陶苑のカップを取り扱っています。

●やきもの用語集 ●器の産地訪問 ●陶芸の楽しさ ●焼き物紹介

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